今年で3回目となる「大人の遠足」。参加者が集まるかな〜?
と思っていましたが、結局20名近くのご応募をいただき、
また心配していたお天気もこの上ない秋晴れに恵まれて、23日、
楽しく催行することができました。
金持神社に集合されたご一行様。10時に出発し、渓谷に沿った
山道を登って、うしろ谷集落の入り口付近?にご到着。
ここからさらに垂直距離で数十メートル、坂道を登ってメイン会場へ。
この人里離れた桃源郷の佇まいに、皆さんから感嘆の声があがります。
小休止のあと、荷物を置いてさらに坂道をのぼって、村が一望できるポイントへ。
よく手入れされた棚田が美しく、ここでもまた口々に感嘆の声・・・。
いまは無人となった集落の田畑を管理しているN氏(麦わら帽)の案内で、
この風景を維持する苦労話の一端などを聞けば、いっそう感慨深いものがあります。
今度は、上から見下ろした棚田の方にご案内。
「里山」とは、人と自然が上手に折り合っているところ。
「限界集落」とは、人が自然に飲み込まれそうになっているところ。
ここ「うしろ谷」を「桃源郷」と呼ぶことができるのは、こうして絶え間なく
人の手を入れ続けているからなのです。
集落を一周して、ほどよく汗をかいたところでランチタイム。
N氏がここの田んぼで栽培したコシヒカリのおにぎりは、一粒一粒がしゃんと立って
天下一品。それに、今や日野町の伝統料理としてその呼び名が定着した「じゃぶ汁」。
最近N氏が自力で建てた温室の前はオープンテラスとなっていて、
そこで過ごすティータイムもサイコ〜・・・。(寛いでおられるのは境港のAさん)
食後のひとときをのんびりと寛いで過ごした後は、
近くの山に分け入って採取した草木で恒例の苔玉づくり。
造園師として「現代の名工」に選ばれたNさんの直々の指導でできた
皆さんの作品がコチラ↓
枝もたわわに実った富有柿と自作の苔玉などを手土産に、午後2時を過ぎた頃、
皆さんは帰途につかれました。
ここに来るといい写真がいっぱい撮れます。なので、このブログ上で
ご紹介するものを選ぶのに一苦労。
ちなみに一昨年は、「大人の遠足(その1)」から「その4」まで
4回に分けて綴らせていただいています。
また、この度リリースした『おかえり』〜JR伯備線の旅〜 の映像では、
3番の最後、Codaのところにここの写真を使っています。
この風景を今後もずっと保っていくために、N氏や仲間とともにまた、いろいろ考え、
取り組むべきことがたくさんありそうです。
と思っていましたが、結局20名近くのご応募をいただき、
また心配していたお天気もこの上ない秋晴れに恵まれて、23日、
楽しく催行することができました。
金持神社に集合されたご一行様。10時に出発し、渓谷に沿った
山道を登って、うしろ谷集落の入り口付近?にご到着。
ここからさらに垂直距離で数十メートル、坂道を登ってメイン会場へ。
この人里離れた桃源郷の佇まいに、皆さんから感嘆の声があがります。
小休止のあと、荷物を置いてさらに坂道をのぼって、村が一望できるポイントへ。
よく手入れされた棚田が美しく、ここでもまた口々に感嘆の声・・・。
いまは無人となった集落の田畑を管理しているN氏(麦わら帽)の案内で、
この風景を維持する苦労話の一端などを聞けば、いっそう感慨深いものがあります。
今度は、上から見下ろした棚田の方にご案内。
「里山」とは、人と自然が上手に折り合っているところ。
「限界集落」とは、人が自然に飲み込まれそうになっているところ。
ここ「うしろ谷」を「桃源郷」と呼ぶことができるのは、こうして絶え間なく
人の手を入れ続けているからなのです。
集落を一周して、ほどよく汗をかいたところでランチタイム。
N氏がここの田んぼで栽培したコシヒカリのおにぎりは、一粒一粒がしゃんと立って
天下一品。それに、今や日野町の伝統料理としてその呼び名が定着した「じゃぶ汁」。
最近N氏が自力で建てた温室の前はオープンテラスとなっていて、
そこで過ごすティータイムもサイコ〜・・・。(寛いでおられるのは境港のAさん)
食後のひとときをのんびりと寛いで過ごした後は、
近くの山に分け入って採取した草木で恒例の苔玉づくり。
造園師として「現代の名工」に選ばれたNさんの直々の指導でできた
皆さんの作品がコチラ↓
枝もたわわに実った富有柿と自作の苔玉などを手土産に、午後2時を過ぎた頃、
皆さんは帰途につかれました。
ここに来るといい写真がいっぱい撮れます。なので、このブログ上で
ご紹介するものを選ぶのに一苦労。
ちなみに一昨年は、「大人の遠足(その1)」から「その4」まで
4回に分けて綴らせていただいています。
また、この度リリースした『おかえり』〜JR伯備線の旅〜 の映像では、
3番の最後、Codaのところにここの写真を使っています。
この風景を今後もずっと保っていくために、N氏や仲間とともにまた、いろいろ考え、
取り組むべきことがたくさんありそうです。
先日のフォーラムでは、折角皆さま前向きでおられる場面で、後ろ向き発言で申し訳ありませんでした。フォーラムのコーディネーターのすぎはら様にもお詫びしていただきますようお願いいたします。
私としましては当時の日野町を中心とする日野郡各町の無関心と思える姿を忘れられないのが事実でした。